無農薬野菜で発達障害を予防

日本の食糧自給率は低いといわれていますが、最近、野菜工場というビジネスが発展しつつあります。コンピューターで温度や水、日照などを管理する水耕栽培の温室で、野菜を栽培します。カゴメ(和歌山県加太)や、セコム(宮城県でハーブ)、プロミス(北海道でレタス、サラダ菜、イチゴ、とまと)キュービー(福島県でサラダ菜)など、大企業が参加しています。

また野菜工場ほど厳密には環境制御しない施設水耕栽培に取り組む農家も次第に増加しています。現在の慣行農業では大量の農薬が使用されており、発達障害の原因としてネオニコチノイド系農薬や有機リン系農薬が問題視され、人体への有害性が問題になっています。これと比較すれば、野菜工場では、使用する農薬はほとんど必要ないといってもよく、農薬アレルギーの子供さんにとっては、救いになっています。無農薬、有機栽培の農法はもっとも理想とする方式ですが、それがすぐには日本中に拡大できないのであれば、野菜工場のほうがまだ農薬まみれの慣行農法よりも何倍も健康のためにはよいということになります。

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農薬を使わないメリット

ただし、生産の方法や農薬の有無などについて企業秘密として公開していない会社も多く、消費者保護の観点からは、詳細な方法の公開を義務づける必要があります。そして、化学肥料を使用することが多いので、この点でも、無農薬、有機栽培の農法に劣ります。次善の策というぐらいに考えておくべきでしょう。やはり、日本の国民の健康と安全のためには、石油由来の化学農薬を完全廃止し、化学肥料を完全廃止し、無農薬、有機栽培の農法を全国で義務化することでしょう。それが増加するアトピーや喘息の子供達を救う最善の方法です。現在の政府与党は、国民の暮らしを大切にすると言っていますが、それが真実なら、農業問題にもっと目を向けるべきでしょう。

森の戦士ボノロンと木村秋則

「森の戦士ボノロン」をご存じでしょうか?セブンイレブンで無料で配布している童話です。薄い冊子なのですが、毎回、心を育てる良いお話が掲載されています。「この森の戦士ボノロン」の2010年四月号に掲載されたお話は「おじいさんのリンゴ」でした。どんな病気も治す奇跡のリンゴを育てるおじいさんのお話です。この奇跡のリンゴは、「薬」をつかって育ててはいけないのです。おじいさんは最期まで、薬を使わないでリンゴを育てます。実ったリンゴは、難病で死の淵をさまよう子供の命を救います。この姿は、木村秋則さんと重なります。この号の巻末には、木村秋則さんへのインタビューが掲載されています。その中で、木村秋則さんは、完全無農薬リンゴを育てる時のエピソードを話して下さっています。かつて無農薬栽培をスタートした頃、リンゴの木が弱って枯れそうになったそうです。そのとき、木村さんはリンゴの木に一本、一本、語りかけて、「実をつけなくてもよいから、どうか枯れないでおくれ!」と木に話して回ったのです。しばらくするとなんと、木はだんだん力を取り戻し、元気を回復したのです。

奇跡のリンゴ

しかし、たくさんの木がよみがえった中、82本のリンゴの木が、枯れてしまいました。その82本は、畑の一番端っこにあった木で、木村さんが「木に話しかけているのを近所の人に見られるのが恥ずかしいから」と声かけをしなかった木だったのです。このとき、木村さんは「リンゴの木にも心があるのだ」と悟ったのでした。それからは、木を人間や動物と同じようにひとつの生き物として接するようになったそうです。実際に薬を使わずに、リンゴの木を育てる木村秋則さん。まさに「奇跡のリンゴ」農家です。

木村秋則さんのお弟子さんたち

木村秋則さんの「奇跡のリンゴ」農薬自然栽培が知られるようになると、木村さんのノウハウを学びたいと、後に続く人が現れてきました。木村秋則さんは、農薬、肥料をまったく使わない自然栽培を日本中に広める大志を持ち、全国から海外まで、呼ばれると出向いて講演をしておられます。多い時は年間、二百日も指導に出かけられたといいます。自然栽培をやってみたいという人々に自分と同じような苦労を味わってほしくないからとの思いが、木村さんにここまでの行動力を与えているのです。米や野菜だけではなく、お茶やマンゴー、オリーブなどいろいろな作物への自然農法の指導を行ってきたのです。木村秋則さんの教える方法は、従来の農業の教科書の正反対のことも多く、頭で理解できても実践となるとできない人もいたようですが、木村さんは根気よく、彼らを指導し続けたのです。岩手県遠野市の佐々木正幸さんは、遠野自然栽培研究会の会長です。佐々木さんは木村秋則さんのお弟子さんの一人です。現在は大規模な稲作で実績を積み上げているそうです。遠野自然栽培研究会のメンバーである佐々木悦雄さんは、2006年から、木村さんのリンゴ栽培を学んでおられます。

遠野自然栽培研究会は木村農法

佐々木さんが木村さんに弟子入りしたのは60歳のときです。建設会社の社長職を退き、第二の人生へのチャレンジだったそうです。最初の三年間は、やはりリンゴはうまく実らなかったそうです。ウドン粉病、スス病、斑点落葉病などの病気が発生し、大量の害虫に見舞われたそうです。農薬を止めるという大きな変化があったため、リンゴの木の生態が狂ってしまい季節外れの花が咲いたりしました。しかし、根気よく、木村秋則さんの指導を受けた佐々木さんはついにリンゴを実らせることに成功したそうです。途中、木村秋則さんの指導をきかず、スプレーヤーで酢を散布してしまったそうです。スプレーヤーは重い機械なので、畑の土が固められて、ふかふかの状態でなくなり、リンゴの根が育たなくなるのです。木村秋則さんにそのことを指摘され、スプレーヤーを使うのをやめ、手で散布するようにしたところ、リンゴが実ったのです。なぜ、機械に頼ってはいけないかということです。それは土を守り、作物を守るためだと木村さんは言います。

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